「四角い空からのエクソダス」
- Takao Saito
- 3月28日
- 読了時間: 7分
2023年11月22日に行われました同志社大学京田辺キャンパスでの水曜ランチタイム・チャペル・アワー「創立記念礼拝奨励」の記録が「チャペル・アワー奨励集」に掲載されました。


以下は、出版社の許諾を得て、同志社大学キリスト教文化センター「チャペル・アワー奨励集 No.308」244頁以下に掲載された内容を転載いたします。
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四角い空からのエクソダス
奨励者紹介
齊 藤 尚 男
〔さいとう・たかお〕
齊藤国際知財事務所代表
米国弁護士・日本弁理士
神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」
モーセは神に尋ねた。
「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」神は、更に続けてモーセに命じられた。
「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。
これこそ、とこしえにわたしの名。
これこそ、世々にわたしの呼び名。
(出エジプト記 3章12―15節)
はじめに
私は同志社香里高等学校の卒業生であり、同志社大学では法学部に通いました。学生時代より礼拝に参加しておりましたが、このように皆さんの前でお話をすることになろうとは思ってもいませんでした。今、私は同志社の卒業生として話をしていますが、ここで何を話そうかと考えておりました。できれば、就職活動などで社会に出ようとされている皆さまに少しでも参考になるようなお話をしたいと思っております。
私は皆さんと同じように大学卒業間際に自分の進路を考え、戸惑いつつも企業へのエントリーシートを作成したり説明会などを受け、面接を経て松下電器産業株式会社(今は社名変更してパナソニック株式会社)という会社に入社をいたしました。それが2003年のことです。
アメリカ駐在時代
同志社大学の派遣留学制度を使って留学をしましたので、普通の学生よりも半年ほど遅く就職活動を始め、秋から就職活動をすることになりました。そこでパナソニックしか当時は秋採用をしていなかったので、そこでなんとか自分のやりたかった仕事である知的財産関係、いわゆる特許の仕事をできる機会に恵まれました。その後サラリーマンをしながら、皆さんもきっと入社される会社によってはそうですが、昇格試験や各種の成果報告会などで自分の目標を立て、それにしたがって日々の業務を行いました。そして自分の成果を報告し、その目標を達成できれば次の目標を立てるというサイクルをどんどん回していくことに対してあまり疑問を持たずに仕事をしていました。そんな中、五年目くらいにさしかかった時、アメリカ駐在の話が来ました。駐在先はニューヨークにある法律事務所です。駐在の話についても、是非そこへ行ってみたいという目標を立てた上で、そのために必要な国内選考や面接を経て、無事に駐在をする候補となりました。アメリカへ駐在してから、ユダヤ人が経営する法律事務所に派遣され、そこで知的財産の関連訴訟や契約書を作るような仕事を行いました。
目標達成の空虚さと「四角い空」
当時、私は娘や息子も一緒にアメリカへ連れてきておりました。家族で行っておりましたので、娘はナーサリースクール(日本で言うところの保育園のようなところ)に通わせていましたが、そこは教会が経営していました(実は、そこで後に洗礼を受けることになったのですが)。同志社に通っていましたから、キリスト教や礼拝などには親しみがありました。しかしそれはあくまで、学校の教育活動の範囲の中で行くというようなものであったので、学生時代に信仰心があったわけではありません。アメリカは、経済大国であると同時に、実は宗教大国でもあります。そんなアメリカの二面性を感じました。また、それまでずっと学生時代から社会人に至るまで、ある目標を立ててはそれを達成し、また次の目標を立てては達成し―ということを永遠と繰り返していく―これは一体いつまで続くんだろう、いつ終わるんだろう、いつまでこれをやるのかな・・・といったようなところでした。そうした日々を過ごすなかでもう疲れ果てていたというのが正直なところです。そしてそのような心情をかかえ聖書の世界に子どもの保育園の行事を通して触れていきました。また、当時英語を学ぶために英文の聖書を買って読んでいくと、そういえば同志社を創設した新島先生もアメリカへ行く途中に聖書を入手され、それを読んで、クリスチャンになられたことを思い出しました。新島先生は、江戸時代の日本にあって、古い考え方や古い因習の残る日本で、外国から開国の要求など、様々な時代的な動揺がある中―日本の空は四角い―と感じられたというようなお話を聞きました。つまり、空が障子のように四角いわけです。そして、その障子を通して空を見上げると、四角い空しか見えず、そこに限界やその時代的な常識というような枠を感じられたのだと思います。
国禁を犯すエクソダス
彼は日本を捨て、ある夜にアメリカへ行く船に乗りました。脱藩です。国禁を犯してアメリカに行った―それは、いわば聖書にいうエクソダス(エクソダス〔Exodus〕とは、英語で「出エジプト」の意味)です。エジプトでの奴隷状態からなんとか外へ出て、何も持たず、神が約束した「約束の地」を目指していくその姿と重なります。また、新島先生は、侍の魂である自分の刀を売って、その引き換えとして聖書を手に入れられました。その聖書を持って、ただそれだけを持って、アメリカで暮らし、そして色々な方の助けを得ながら大学を設立するという、壮大な志を持たれました。そのような志が何か自分とオーバーラップするような気持ちで聖書を読み、アメリカ中を周りました。例えばカリフォルニアの砂漠、その中で、グランドキャニオンやブライスキャニオンといった壮大な光景を見る中で、これは人間の力の及ばない神の力があるのではないか、天地創造というものが、あの創世記の場面が頭の中に浮かびました。そしてアメリカを周る旅の終わりに洗礼を受けました。しかしその時は自分にとって何が「約束の地」だったのか全くわからなかったのです。
「いい子ちゃん」と志
その後、帰国してから十年間、日本で生活しました。そしてあのユダヤ人たちがやっていたアメリカの弁護士という仕事に憧れ受験勉強をし、そしてまた、自分がどのように日本の知的財産制度により貢献できるのか、様々なことを考えた結果、会社を辞めて米国弁護士となり、今は独立をして事務所を経営しています。それまで私は、ただの『いい子ちゃん』だったのです。誰かが喜んでくれるような目標を立て、それを達成するだけの『いい子ちゃん』。誰かの人生を生きているのと同じです。しかしそうではなく、本当に自分が心からやりたいことに全力投球し、自らの志をもって世に仕えることを見出せたのでした。
エジプトを出たその日の不安と主の栄光
私は何かを持っているわけではありません。しかし、この聖書に基づいて生きるということ、そしてきっと「約束の地」というものはあるということ、モーセがエジプトを出たその日感じた不安、新島先生が日本を出る時に感じた不安、そして私が会社を辞める時に感じた不安、こういった不安はおそらく人間普遍のものであり、どんなにすごい人でも不安に感じるところかと思います。しかしそのようなか弱い人間であっても、神様はきっと支えてくれると思っています。そして私たちを助けてくれると思います。これから就職活動をし、そして社会に出ていくというような重要な時期にある皆さん、たくさんの不安を抱えていらっしゃると思います。しかし、どうかあなたの主である神様の力を信じ、そして自分の使命は一体何なのかをよく探求し、世に仕える人であってください。主に栄光が世々(よよ)限りなくありますように。
2023年11月22日 京田辺水曜ランチタイム・チャペル・アワー
「創立記念礼拝奨励」記録
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